洞察史観

アマルナ衆考

本年四月三十日公刊の拙著『金融ワンワールド』は、所謂ユダヤ人について、その概念を明らかにしたものである。

その主旨は、シュメルに発してフェニキュア・カルタゴ・シシリーを経てヴェネツィアを本拠とし、さらにアムステルダム・ロンドンに広がった潟住いの海洋交易民族を、ヴェネツィア・コスモポリタンと謂い、ヴェネツィア・コスモポリタンを中核として所謂ユダヤ人が囲繞したのがユダヤ人社会であることを明らかにした。

それではユダヤ人とは何者か。戦国時代に来朝したポルトガル商人の多くは、もとは一四九二年のユダヤ教徒追放令でスペインを追われたユダヤ人とされているが、俗に「ユダヤ人」或いは「ユダヤ系」と呼ぶものは、正確には民族や人種のことではない。

今日のイスラエル共和国「帰還法」では、同国に帰化を許される「ユダヤ人」とは、「ユダヤ人の母から産まれた者、もしくはユダヤ教に改宗し他の宗教を一切信じない者」のことで、同国内にはユダヤ教を信仰しない者もいるが、これは「イスラエル人」と呼ぶ。

ユダヤ人社会では母がユダヤ人である者をユダヤ人と呼ぶが、欧州社会では父がユダヤ人である者もユダヤ人として扱う。

古代・中世には、ユダヤ人に「ユダヤ教を信仰する人々」という定義を当て嵌めたが、近世以降は、改宗者も無神論者も一種のユダヤ人とされたのは、信仰ではなく血統概念として「ユダヤ人」を捉えたのである。ところが、ナチスのニュールンベルグ法のユダヤ人概念は、人種でなく宗教によって分別した。

これを要するに、「ユダヤ人」概念とは、ユダヤ人血統及びユダヤ教徒の何れかの要素を有する者を指す、二元的概念である。ユダヤ教徒の識別は一応容易であるが、「ユダヤ血統」の方は、その概念そのものが「ユダヤ人」概念を包含する「入れ子構造」であるから、どこまで遡っても「ユダヤ人とは何か」に帰着してしまい、トートロジー(同義反復)になって結局定義にならない。

古代カナーンの地に成立した一神教十二部族の連合国家たる統一イスラエル王国(古イスラエル王国)が宗教問題によって分裂し、多神教に戻った十部族が北イスラエル王国となり、一神教を固持した二部族が南ユダ王国となった。

ユダヤの語源は実に、その南ユダ王国に帰すものである。北イスラエル王国は前七二二年にアッシリアに滅ぼされ、住民は連れ去られてその行方は不明となった。ユダ王国は其の百二十五年後の前五九七年に新バビロニアによって滅ぼされ、住民はバビロンに移された。

問題は、その一神教なるものの正体である。天童竺丸『憎悪の呪縛­・・・・・一神教とユダヤ人の起源』(文明地政学協会刊)によると、現在ユダヤ教・キリスト教・イスラム教として人類の大きな部分が崇拝する一神教について、旧約聖書の「出エジプト記」「創世記」の説くところは、歴史学的には全く正しくないらしい。

ヤハウェ一神教の淵源は、メソポタミアではなく古代エジプトにあった。すなわちアメンヘテプV世の子のアメンヘテプW世が前十四世紀の中葉に、太陽神アメンを主神とする多神教を禁止し、唯一神アテンを奉じる一神教を創めて聖都アケトアテン(後のアマルナ)を建設し、自らアクエンアテインと称したことに始まるというのである。

右の故事は、古代史上「アマルナの宗教革命」として知られるが、伝統的な多神教の神々が禁止されてアテン一神教が奨励されたのは僅か十年余りの期間で、アクエンアテインの死とともに聖都アケトアテンは廃棄され、人々は以前の多神教に復帰して旧都テーベに帰還した。

ところが、アテン教徒を優遇する国際都市であったアケトアテンには、一神教信仰の恩恵を求めて集まった大勢の外国人から成る集団がいて、アテン神官とともにアテン信仰を捨てることを拒否した。その扱いが為政者にとって大問題となったが、結局アテン教徒らは国外追放処分となり、エジプトを脅かす北方の強国ヒッタイトに対峙する最前線のカナーンの地に送り込まれた。

彼らこそ「イスラエル」の民、すなわち所謂「ユダヤ人」である、と主張するのが原書房『出エジプト記の秘密』で、著者はスファラデイ系正統ラビの家系に生まれたサバ兄弟である。

サバ兄弟に拠れば、イスラエル人ないしユダヤ人の概念はこの時に生まれたもので、エジプトからカナーンへの追放を改変・美化したのが「旧約聖書」の『出エジプト記』なのである。したがって、本来アクトアテンに集まった多種多様の民族集団、いわば「アマルナ衆」の末裔である「ユダヤ人」を特定血統や民族と看ること自体が無理であって、巷間言われるユダヤ人の民族的特徴も、実はこのアマルナ衆の中で優勢だった特定族種の特徴と観るべきである。

以前はこのことを知らず、「旧約聖書」を合理的に解釈して、シュメール人がアラブ人との間に混血種を創り、これをカナーンに向かわせたものと理解していたが、今日から後は、説を改めてサバ兄弟に遵うこととしたい。

 

平成24年11月18日記す

                   落合莞爾