狸仙経済夜話 

第一話 アメリカが試用した土地本位制の崩壊

4・金本位制と土地本位制

金本位制のように、どの経済教科書にも載っている制度を、ここで述べる野暮は止めて、その代り、どの経済教科書にも載っていない土地本位制について述べることと致します。

土地本位制とは何か。以下は平成元年(1990)12月12日に発行した狸仙の第2著『平成日本の幕末現象』(上に写真を掲載)の154頁から始まる1節です。執筆当時は、正に土地バブルの絶頂でした。やや長くなりますが、そのまま引用いたします。

説明: C:\Users\ochiai\Desktop\Outlook ファイル\新しいフォルダー (2)\bakumatu.jpgわが国の土地の価格上昇は著しく、日本の地価の総額をドル換算するとアメリカ合衆国の地価の数倍になるという。この事態の当・不当を巡っていろいろの論議がある。

否定派はその土地から上がる生産物に着目し、GNPの総額でアメリカの何分の1しかない日本が、かえって地価総額では数倍するのは滑稽である、とする。肯定派は、日本には土地の絶対量が少ないから需要供給の関係から合理的現象である、という。

否定派は土地を生産要素として見ている。総土地から生まれる総生産が小さい日本の地価総額は、それより大きいアメリカ合衆国の地価総額より小さくあるべきである。それなのに異常に高いではないか、と嘲笑するのである。昨今の論者の数から見れば優勢だ。

肯定派を援護するとしたらこういう論法になろう。生産要素は資本と労働に大別され、あるいは更に技術が加えられる。昔は土地も独立して生産要素とされたが、最近は土地は資本の中に包摂して考えられる傾向にある。いずれにしても生産要素の一つである土地に対して払われる使用料が地代であるが、その地代をさらに資本還元した価額が地価である。

さて各生産要素に対する支払いの配分率が日米で同率でなくてはならない筈はない。

土地供給の少ない日本では、生産費用のなかに占める土地に対する配分率が高いから、高地価も理屈に合わないものではない、ということだ。

すると今度は、分配率がどの位違うか、という話になろうが(誰も計算していない)論争が発展してとめどがない。肯定派の論者は少ないが支持者は多い。不動産屋と地主である。彼らは、高いものは高く、上がるものは上がる、と信じている。

著者はこんなところに、事の本質があるとは考えない。

そもそも土地は商品としては扱いにくいものである。

何故か?

  だいいち携帯や輸送ができない。

  供給が増えない(非弾力性)

  便利な単位に分割することができない。

  同じものが二つとなく、超個性的である。

  高度に公共性があり、絶対的所有権には馴染まない。

以上のような理由で土地はどこの国でも、商品として見ていなかった。財産として扱っている国も多いが、土地の財産性は市場価格でなくその利用権に由来する、と観念されているのが普通である。所有権ではなく、むしろ利用権が土地に関する通常の権利形態である文明社会も多い。

わが国も江戸時代には土地は絶対的所有権の対象と考えられていなかったようである。田地田畑は原則として売買が禁止されていた。武士の屋敷は主君から賜ったもので、必要とあらば召し上げられたり、交換させられたりした。商業地や長屋などは私有を認められていたようだが、絶対的所有権に服する観念はなかったようだ。

かかる特性を持つ土地を「商品」として、絶対的所有権の対象として意識するようになったのは、戦後に始まったわけではない。しかしその傾向は戦後とみに強まった。「民主化」と関連しているようだ。勿論、

    民法第一条に「私権ハ公共ノ福祉ニ遵フ」

とあり、また公共の用途に必要な土地はこれを徴用する法律上の制度もあるが、その運用は極めて「民主的」で地権者の意向を極端に重視する。権力の正体を知っている者にとっては、なんだか薄気味悪い位である。

土地の商品化とは土地が転々流通するものとして意識されることである。動かない土地から見れば、その流通とは土地の上の人間が動くことである。市街地の開発が街の様相を変え、建築物の建て替えも盛んになれば、土地が転々流通する可能性も増えるのである。土地の商品化と同期して地価が上昇を始める。その実態については本書など紙数を費やす必要はあるまい。

商品性を帯びた土地には銀行の融資が付く。銀行はもともと人的信用を重視すべきものであった。換言すれば事業内容を評価してこれに対して信用を供与すべきものである。この点で銀行は金貸しや質屋とは、似て非なる者でなくてはならない。しかし敗戦後の焼け跡工場では大会社といえども廃油を売って月給を払ったり、軍用資材を横流しして幹部が捕まっていた。民主化により自動車会社では給仕のオバサンが部長以上の給料を取っている有り様だった。こんなに経営が揺らいでいるときには銀行としては、企業の何を信用すればいいのか。その点、土地は戦災でも無くならず、健在だった。

いつの間にか「土地担保融資」が我が国の銀行融資の基本的パターン「王道」になった。土地は無くならず滅多に売却もしないから、土地担保融資は先行き返済されず、書換えが行なわれる見通しが大きい優良な貸付である。銀行は返済されるのを好まず、書換えによる永遠の貸付を望んでいるのである。そのうちに地価が騰がり出す。担保の評価を増やすことにより、新たな貸付増額ができる。銀行は貸付増額を望んでいるのである。

こうして我が国の信用制度のド真中に根幹に土地がドッカと根を下ろしたのを「土地本位制」という。本位財(信用の標準となる物資)を土地とする信用制度である。工業化の進展が著しく、設備投資に膨大な資金を欲しがり、取引用の需要も激増して企業向け信用の増大が迫られるとき、その供給のもとになる信用の基礎は何であったか。

外国向けの輸出は極めて安価に行われていたし、原材料のほか工業化の基盤整備のためにも輸入の必要があり、外貨の手取りは少なかった。企業の利益率も低く、事業そのものの価値は未だ確定的でない。結局のところ、貸付の目安を企業保有の土地の価値においたのであるから、土地価格の上昇は信用を増大させる最も効率的な要因となった。

「本位制」という言葉で真先に思い浮かべるのは「金本位」や「金銀複本位」などのことばであろう。金本位を例に取ると、なぜ金が通貨の基礎となったかは、金のもつ次の特徴による。

何故か?

  だいいち形態や輸送に便利である。

供給も少しずつで安定している。

価値を損傷せずに、どんな単位にも分割することができる。

どの地金も全く同じ物性を持ち超・没個性的である。

隠匿、加工、消費、鑑賞など私的処分に高度に即応し、絶対的所有権に馴染む。

 要するに土地の正反対であることが分かる。

 金本位では金の持つ完全な商品性から、金が本位財となった。土地本位では土地の持つ高度の非商品性にもかかわらず、土地が本位財になった。この一見矛盾はどう見れば解消するのか。

 著者の考えるところ、この鍵は我が国銀行の融資姿勢にある。商品経済のなかで、銀行が融資の担保として土地を選好することは、土地を商品として看做したことを意味する。しかし土地が本位財となるためには商品性だけでは十分でない。本位財は交換手段である他に「価値の保有手段」でなければならない。商品性とは商品としての市場性が高いこと、要するに交換の際に受け取りを拒否されないということで、つまりはみんな欲しがる物であることだ。価値保存性とは要するに価値が安定的であることで、それは其自体の品質が劣化せず維持費用がかからないこと(鮮魚のように直ぐ悪くなって価値が下がらない)と、其の市場における相場が安定していること(極端な相場変動がない)の二つの要素からなる。

 土地は(市街地はとくに)供給の少ない我が国では、まず前者の条件を満たす。後者のうち品質安定性は合格、相場安定性は持続的上昇と謂う「地価神話」のもとに、これまた満点で合格である。

 こうして@皆欲しがり、嫌がる人がいない。A品質の劣化がなく、価格が持続的に上昇する。B銀行が融資の対象として一番に歓迎する。この三条件を満たしたおかげで、土地が本位財となり得たのである。

 皮肉なことではあるが、近年まで「金地金」はわが銀行に担保に取って貰えなかった。土地に比べて「金」を欲しがる人が少なく(商品性が劣る)、相場変動もあって(保有適性が劣る)面倒だから、銀行が担保にとるのを嫌っていたのだ。

 しかしごく最近まで生きていた旧貨幣法によれば、「円」は「金」によってその存在を規定されていた(昭和六十二年五月に改正された)。

    貨幣法(明治三十年法律第十六号)

     第二条 純金ノ量目七百五十ミリグラムヲ以テ貨幣ノ単位トシ之ヲ圓ト称ス。

 それなのに「円」は「金」を離れてそれよりも尊くなっていたのである。

 土地を商品化して、信用制度の根本に据えるなどというのは、我が国独特の創造である。

 「土地本位制」こそは、資本の原始的蓄積が薄弱でしかも戦争でこれを喪失してしまった戦後日本経済が、無から有を生じるために打った鬼手であった。むろん自然発生したもので、これを案出したのは銀行でも日銀でも、秀才と自他ともに許す大蔵省でもない。戦後日本人の「集団無意識」が必要により産んだ経済制度に関する「世界史的発明」である。これに並ぶ戦後の経済制度に関する発明には「株式持ち合い」がある。

 この土地信用制度の意義は、「株式持ち合い」よりもむしろ、江戸時代に田沼意次が発明した世界最初の「管理通貨制度」に匹敵するものである。むろん「横田(アメリカ)幕府」の与り知らないところでこれは行われたから、この「地価経済」は一種の「地下経済」である。だから戦後体制の主権者筋ら(米国支配層も政治家も大蔵官僚も経済学者も)はことの本質を悟らず、したがって「日本の土地・不動産」を投資対象と見る先見性を持たなかった。

 米国支配層はこのことに未だ気が付かないようだが、それは結局、彼らがベニスの商人の子孫であるからであろう。金本位制は漂泊経済のアングロ・ユダヤの商業・金融主義の発明であり、土地に定着して工業設備を蓄積改良することを経済行動の中核においた日本人とは対極的発想であったのだ。経済構造のちがいは、ここに始まる。(後略)

 さすがに22年前の文章で、今の狸仙の口調とはやや異なるが、今でも内容にはそれほど変改の必要がないように思われます。拙著では、日本人が創造した経済制度とし、「田沼意次が発明した管理通貨制度」と「株式の相互持合い制」に並べて「土地本位制」を挙げましたが、本当はもう一つ「先物取引」を挙げるべきだったのです。つまり、「株式持ち合い」の代わりに土地本位制を持ってきて、管理通貨制度先物取引とを、「日本人の三大発明」とするのが至当と思われます。

 この「三大発明」こそが、ヴェネツィア・コスモポリタンの淵源シュメール人の一種が日本列島に渡来してきた決定的証拠である、と狸仙は信じます。つまりシュメール文明が分岐したとき、一派は東漸して列島にたどり着き、土着して原日本人の1種族を成したが、元来海民の彼らは、日本列島の地勢など地理的要件により、海外交易にはそれほど傾かず、日本列島沿岸を経済圏として漁業・海運・回漕・水軍(水路・港湾管理)などを本領とする経済民族として活躍しました。この時に、西に向かった分岐シュメールの別派がヴェネティア・コスモポリタンとなったのですから、淵源は同じです。

東漸渡来のシュメールが多神教徒だったのに対し、西方流離のコスモポリタンは、中身の大半が一神教徒に入れ替わってしまい、両者の間に決定的な相異が生じたわけで、その違いが、ここへきての金本位制と土地本位制になって顕れたのではないかと思います。

 社会の必要に応じて経済制度を編み出す渡来シュメールは、江戸時代に淀屋辰五郎が堂島邸の土間に商人を集めて米・菜種油・金の先物取引を行いました。いわゆる「堂島米相場」で、これが世界最初の先物市場であります。また、徳川吉宗の家臣田沼意次による「明和五分銀」及び「南鐐二朱半」の発行を契機に、本位貨幣の小判との定率交換を宣言した銀貨は、信用貨幣に転化することで管理通貨制度に踏み込みます。その際に「公信力の原理」について本格的に論じることもなく、日本社会特有の「集合無意識」によって、管理通貨制度が採用されました。

 こうしてみると、戦後日本の銀行が「土地本位制」を採用したのも、日本経済の陰に渡来シュメールがいたからではないかと思われます。

説明: C:\Users\ochiai\Desktop\バブル地価 - コピー.jpeg左は、拙著所収の地価上昇率の表で、昭和60年からのバブル期の凄まじい地価上昇を如実に著しています。政体は、昭和57年から62年までは中曽根内閣で、竹下登が引き継ぎました。

             平成23年重陽日    狸仙しるす