• 馬場昌保氏著の『二人の佐伯祐三』に吉薗周蔵氏の文書に対する疑問が書かれていますので、それに対する考察をしてみます。

１．吉薗周蔵氏の文章への疑惑

最初に掲載されているのは、佐伯祐三宛の吉薗周蔵の文章で写真版の説明によれば、ペン書きで ブルーブラックのインクで書かれているという。 この書簡の大意は、吉薗が佐伯に対して、好きな食事をとり気楽にしているのが身体によいというもので、本文は１７行で１６５字、そのうち漢字が５１字・片仮名が９６字・平仮名が１８字である。 この書簡にはいくつか不審な箇所がある。 一行の中に平仮名と片仮名が混じるという雑な文章である点 吉薗周蔵は明治２７年生まれで、この書簡を書いた当時の年齢は３０歳ぐらいと推定される。この字体は現代の若者のもので明治生まれの人が書いた字とは考えにくい。 大正末期から昭和初期（この書簡が出された時期）を考えると、漢字の中で｢仏｣⇒｢佛｣・｢気｣⇒｢氣｣・｢楽｣⇒｢樂｣と書かれるはずだと思うのだが。

• １項に関しては、吉薗周蔵氏が佐伯祐三に宛てた私信であるので、｢雑な文章である｣云々は他人からとやかく言う問題ではないと思います。２項と３項は同じ事を書いていますので、まとめて考えてみましょう。
• 字体に関しては私も最初は｢なるほど、そうかも知れないな｣と思いました。というのは、私もこの『佐伯祐三の巴里日記』の佐伯の文章を見て｢これが本当に佐伯が書いたの？｣と疑問に思っていたからです。
• しかし、同じ『佐伯祐三の巴里日記』にある吉薗周蔵氏の文章に関しての指摘と気付き、｢待てよ。本当にそうか？｣と思い直しました。少なくとも｢周蔵手記｣に書かれている佐伯以外の部分は日本近代史の深層について触れており、そう簡単に創作できるような内容ではないと確信しているからです。
• そこで、上記３項にある漢字に関していろいろと調べてみました。

●当用漢字ができるまでの経緯

新字体の生まれる経緯に関して、｢異字体の世界｣小池和夫著 を参考に調べてみました。 昭和２１年１１月１６日：内閣告示第３２号として『当用漢字表』が公布され、日常使用する漢字の範囲を定めた。 昭和２４年０４月２８日：『当用漢字字体表』が公布されて、現在日本で使われている漢字（活字)の形が生まれる。 しかし、『当用漢字表』は敗戦後に突然できあがったものではない。 明治維新後、それまで草書、行書、楷書での手書き文字だけだった日本に、活字を使った印刷物が現れ、瓦版に代わって新聞が主役となった。 しかし、その活字体といつも普通に書いている字の形が違うことが問題となってきた。 大正８年１２月：文部省が普通学務局から、『漢字整理案』を発行し、｢小学校の各種教科書に現れる2,600字余りの漢字について、形を整理し、手書き体と活字体の一致を図る｣を目指す。 大正１２年５月：臨時国語調査会が、『常用漢字表』を発表して、漢字の字総数を約1,960字に制限し、そのうち154字に簡易字体を採用し、これに従って新聞各社が漢字の使用制限と簡易化を実施することになった矢先、関東大震災が東京を襲い、実現に至らず。 昭和１３年：国語審議会が『漢字字体整理案』を発表。 昭和１７年６月：国語審議会が『標準漢字表』を文部省に答申。漢字を常用漢字1,134字、準常用漢字1,320字を設定。

• 上記の流れを見ると現在使用されている新字体は、｢明治維新後、手書き文字で使用されていた字体を戦後の新字体として使用した｣ことが分かります。
• よく考えて見れば、もし新字体が新たに創作されたもの（今まで使った事もない文字）であれば戦後新字体が使用されるようになったとしたら、みんなが自由に使うことができる訳がありません。これまで日常生活で何種類か使用していた漢字を限定する方向であったからこそ大きな混乱もなく運用されたのだと思います。
• これを考えると、最初の周蔵氏の文章に対する馬場氏の指摘は全くの的外れだと言えます。すなわち、｢仏｣、｢気｣、｢楽｣という新字体を使用していたという事が贋作の理由にはならないということです。
  

●当時の書簡での検証

• 以上のような調査結果の論証として、佐伯、友人の書簡からら馬場氏への反証を探してみました。
• 結論として、やはり馬場氏の指摘は的外れである、ことが分かりました。私の調べた範囲では『楽』の使用は確認できませんでしたが、当用漢字の成り立ちから考えると、当時も使用されていたと考えるべきと思います。
• それにしても佐伯祐三を語る上で必須とも言える既存の資料を調査すれば簡単に分かる事を、調査もせずに著書で指摘する馬場氏の姿勢には疑問を持たざるを得ません。
• これも、吉薗資料に対して『贋作だ』という先入観を持って見ていることによるのだと思います。私自身もそのような先入観を持たずに資料を見て行きたいと思います。

１）佐伯祐三書簡の『気』の使用

• 佐伯の親友であった山田新一氏の『素顔の佐伯祐三』に掲載されている佐伯祐三の書簡の中に『気』が使用されています。（P216〜217)

２）芹沢光治良手記の『仏』の使用

• 朝日晃氏の『そして佐伯祐三のパリ』に掲載されている、佐伯の友人の芹沢光治良氏の手記で『仏』を使用しています。（P221)

３）小林報告書の指摘

• 小林報告書の中で筆跡鑑定を行った小塚鑑定人は「新漢字使用については、略体字として当時でも通用していた文字もあることは事実であり、使われていても、直ちに、不審とは言えない。」と記述している。
• 吉薗資料を徹底的に批判している小林報告書も、この新字体に関しては上記の意見を採用して否定的な事は述べていません。

２．吉薗正樹氏への疑惑に関して

• 更に馬場氏は、周蔵氏の文章に対して以下のような疑問をｌ投げかけています。
  

• ここまで断定的に書かれると、読む方は｢へ〜、そうなんだ。｣と思ってしまいますが、馬場氏はその根拠を全く示していません。
• ここまで断定するのであれば、きちんと写真で示してその同一性を示すべきです。そうでなければ、この本で馬場氏自身が何度も書いているように名誉毀損になると思います。（これは絵の真贋とは全く関係のない単純な筆跡の比較の問題ですから、本人の筆跡であるか否かは比較的簡単に証明できる内容だと思います。）
• それにしても馬場氏は、正樹氏の葉書のコピーをどうやって手に入れたのでしょうか？（明子氏は提出していないそうです）

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