●真作と考える根拠


1.東京美術倶楽部の「贋作」の根拠が説得力なし
*東京美術倶楽部は、贋作の根拠として、下記の3点をあげています。
      1) キャンバスがテトロンを含んでいる
      2) 絵の具が酸化していない
      3) 画布に打ち付けたくぎは顕微鏡検査ではさびていない
   しかし、上記の2)項目以外は、実際に修復を行った、修復家の杉浦勉氏の「同倶楽部が
   どれほど佐伯作品を見ているか疑問。佐伯がパリから吉薗周蔵氏に作品を送った際、くぎ
   は抜いている。キャンバスの素材にしても本当に見ているのなら麻であることは一目りょう然。」
   の一言で十分でしょう。

*東京美術倶楽部は、科学的な調査を行ったとの事ですがその方法は、「偽作者に悪用されるから」
   公開できないそうです。(笑) まったく...、手品のネタじゃないんだから...。
   それはともかく、追調査できないような調査は「科学的」ではなく河北氏が言ったように「独自の」
   調査ですね。もし本当に科学的調査をやって出た結論が上の3点であるのなら、それも情けない...。
   顕微鏡で見なくてもくぎのさびは分かるのでは?

*鑑定に際して、画の巧拙に関してしか述べていないのも気になります。「サインが佐伯のものと違う」
   とか「画風が佐伯のものではない」などの話が全然出ていないのはなぜなのでしょうか?
   長谷川徳七氏は「ただ、絵だけ非常に稚拙であるというのが、われわれにとって救いです。」と述べて
   いますが、下手=偽作の理由にはならないはずです。

2.武生市選定委員会の判断がおかしい
*武生市の小林頼子特別学芸委員からの「準備室報告書」がデタラメであることは、前述の本で
   落合氏が詳細に反論していますので、書きませんが(資料が×→画も×)という論理は納得でき
   ません。資料が画の由来などを補う点はあるにしても、画と資料はあくまでも別々のもののはずです。
   (今回は、資料があったので資料が問題となっているが、画だけというケースも多いはず)
   当然、資料は偽物だが、画は本物という場合もありうるはずです。
*当初、「資料は○、画も○」と言っていた選定委員会が、「資料は○、画は×」と主張していた
   東京美術倶楽部の意見を超えて「資料は×、画も×」まで一気に行ってしまったのは不可解です。何故?

3.吉薗資料の佐伯祐三、米子の筆跡鑑定結果が真筆であった
*武生市準備室は、吉薗周蔵、佐伯祐三、佐伯米子、佐伯千代子(祐三の義姉)について筆跡鑑定
   を行ましたが、鑑定資料がすべてコピーであったため、鑑定不能でした。しかも、米子、周蔵の鑑定資料
   に代筆が混じっていました。

*しかし、落合氏が佐伯祐三、米子の書簡の鑑定を現物で依頼し、真筆との結論を得ています。この事により、
   吉薗資料は本物である可能性が非常に高くなったと考えられます。米子書簡が真筆であるということは、
   佐伯祐三の画に対する米子加筆、創作が事実である可能性が高いことを意味し、
   その結果、既存の佐伯作品との比較で「吉薗佐伯」の真贋を語ることはできなくなったと思います。上記1で述べた
   下手=偽作もこれで否定されると考えます。なぜなら、一般に佐伯作品と言われてきたものが、(米子加筆=上手)
   を意味するのであれば、下手、稚拙と評価される作品は、「米子加筆品」ではないとは言えますが、だからといって
   佐伯の作品ではないは言えないからです。
   (しかし、これらの巧拙議論は修復前の絵を見て行われている。修復していない絵を見てその質を議論すべきではないと考える)

提案!
*従来の佐伯作品の多くは、「米子加筆」であることが明らかになった訳ですから、次の提案をしたいと思います。

   ●佐伯祐三+米子加筆作品/友人作+米子加筆/米子自作  → 佐伯派作品

   ●佐伯オリジナル作品         →  佐伯祐三作品

   と呼びましょう。(笑)
   従来の米子加筆の佐伯作品は、多くの評論家の高い評価を得た「良い作品」なのでしょうから、今後も否定する必要は
   ないと思います。(私も作品としては、米子加筆も好きです)

4.河北氏は吉薗周蔵氏を知っていた
*河北氏は吉薗周蔵について良く知っていたようです。(良く知っていたからあくまでも真作派だったのでしょう)
   吉薗明子氏に対して次のようにコメントしています。
   「ふーん、これは吉薗周蔵が持っていたものか」
   「佐伯など、どうだっていいんだ。肝心なのは、周蔵を研究することだ。周蔵が明らかになれば、すべてが分かる・・・」
   「焼物は私は芸術と認めていないから ・・・ あれはまあいい。だが絵画は芸術だから ・・・ 研究する必要があるのだ。
   これは周蔵を調べることが、何よりも肝心なのだ。」

○東京美術倶楽部も吉薗周蔵氏を知っていた?
*落合氏の本によると、吉薗周蔵氏は、陶磁器の世界ではかなりの有名人だったようです。その関係で、
   河北氏は周蔵氏を良く知っていたのです。「なんでも鑑定団」で有名な中島誠之助氏は東京美術倶楽部の
   会員になっており、会員である事がステータスであるようです。東京美術倶楽部は陶磁器との関わりも
   深いから、東美の会長であった三谷敬三氏は吉薗氏についても良く知っていたと思われます。
   良く知っていたからこそ、吉薗資料まで否定することができずに
   「資料は○、画は×」と言わざるを得なかったのではないでしょうか?

○選定委員会も吉薗周蔵氏を知っていた
*選定委員は、河北氏から当然吉薗周蔵氏について聞いていたはずです。
   「出所からしても佐伯の作品と思う。」という富山秀男氏の発言は、それを意味していると思われます。


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