安井収蔵氏の 「当世美術界事情U」に見る佐伯真贋事件



○今回の真贋事件と画商の関係

今回の真贋事件では、180点もの未発見の佐伯作品が出てきました。これだけでも業界にとっては大事件です。美術品は、
絵の価値の他に「希少価値」がある事も値段に大きく関わってきます。今回のように一度に大量の佐伯作品が市場に出回れば
佐伯作品の「希少価値」が低くなり市場価格の下落を招いてしまいます。そのため、市場に出回る作品の量のコントロールも
画商の重要な仕事の一つと聞いています。

更に今回の事件では妻米子の加筆問題が絡んでおり、これが明白となれば今まで佐伯作品として各地の美術館に収められていた
ものが疑惑品として美術館から画商に返却を求められる可能性があり、画商にとってこれは死活問題となりかねません。
これが、今回の真贋事件の核心であると私は考えます。


*安井収蔵氏の「当世美術界事情U」には、氏が美術業界紙である新美術新聞のコラム「色いろ帳」に書いた内容が
   収録されています。最初は佐伯真贋事件に関してだけ噛み付いているのかと思っていましたが、この本を読むと色々な事に
   関して同じように噛み付いている事が分かりました。
   とは言え、安井氏は、佐伯真贋事件の贋作派の中心であり佐伯作品の取り扱いでは最多といわれる大手画商日動画廊と
   関わりの深い笠間日動美術館の事業部長の職にあるそうですから、書かれた内容をそのまま信用する訳にはいきません。
   その書かれた内容を見てみましょう。
   内容をよくみると、特に新しい情報があるわけではなく、人から聞いた話を元に同じような内容を何度も繰り返して書いています。
   吉薗佐伯関連で氏の主張されている内容と私の意見を併記してみます。皆さんも是非、安井氏の本の原文を読んでみて下さい。


●平成7年1月11日、21日号 :佐伯祐三、大発見

(「当世美術界事情U」   P198)

安井氏の指摘

私の意見

評論家仲間から「作風が異なり本物とは考えられない」との疑惑あり。
安井氏ともあろう方が、美術業界に以前からあったという「米子加筆」問題との関係を考えないのは何故か?米子加筆の件を考えれば画風が異なるのは当然ではないか。
おおかたの美術業界からは「いまさら油絵180点が発見されたとは考えられない」の疑問あり。
一般的にはその通りかも知れないが、まず実物を見てみるのが第一義では? 一般論では話が進まない
この新発見と息女の周辺にある人物に、かねてから疑惑が持たれてきたという。
安井氏が良く使われる書き方。もし本当であれば、情報源と内容を明記すべき
新発見の油絵を直した京都の修復師は「これまでの佐伯は、いずれもアトリエで再構築したものばかり、新発見は路上で描かれたもの、路上制作が、はじめて世に出る貴重な作品」と語っている。それは、さぞ重大なことだろう。
この揶揄するような書きかたは...。実際に作品に触れている修復家の意見の重要性をご存知の安井氏の発言とは思えない。それとも安井氏はご自分の鑑識眼の方が上と考えていらっしゃるのか?   杉浦氏は、「路上制作が始めて世にでる貴重な作品」と言ったように書かれているが、佐伯自身も実際にはアトリエで制作していたのであるから、その真意は「米子加筆の無い作品」ということであろう。
そして暮れも迫る26日、毎日新聞が<鑑定46点「すべて偽物」>と東京美術倶楽部鑑定委員会の科学鑑定をふまえての確認発表を社会面トップでのせた。
科学鑑定と発表した内容は、ご存知のようにお粗末な内容

実物を見ていない者には何も言えない。ホンモノをニセモノというのはニセモノをホンモノというよりも罪が深いのだが、ついに武生市は第3者機関によって科学的な調査をすることに決めたようである。
前半部は、まったくその通り。さすが安井氏はよくご存知。しかし、実物をご覧になっていない安井氏が、その後一貫してニセモノ説を説かれるのは何故か?

●平成7年2月1日号 :続・佐伯祐三、大発見

(「当世美術界事情U」   P199)

安井氏の指摘

私の意見

商売がらみの作り話と耳を傾けなかった福井県武生市の美術評論化らによる選定委員会も、ついに業界の東京美術倶楽部鑑定委員会のニセモノ説に折れた。第三者機関の科学的調査を受けることになった。
これは、明らかに言いがかり。別に東京美術倶楽部のニセモノ説に折れた訳ではない。平成6年12月26日(東美がニセモノと発表した翌日)、東美の三谷敬三会長、鑑定委員の長谷川徳七美津島徳三の3氏で真作派のドンである河北倫明氏を訪問し、画商達が困るので何とかして欲しいとの陳情を行った事を受けて河北氏が調停案の一つとして出したのが、第三者への科学調査依頼である。話がまったく逆。
新発見、佐伯のカラーコピーを見た。かなり質の悪いコピーだが、そのとき、おおかたの意見は「これが、まさか?」であった。
前回、「実物を見ていない者には何も言えない」と言ったのは安井氏ではないのか?。質の悪いカラーコピーを見て何を判断できるのだろうか?

科学鑑定となれば、キャンバスの繊維質が調べられることだろう。
おっしゃる通り。キャンバスの繊維は武生市の科学鑑定で麻と断定され東美のテトロン説は粉砕された
科学鑑定と平行し佐伯の新旧手紙と日記類と比較検討すれば自ら結果は出ることだろう。
落合氏が田北鑑定人に依頼した佐伯祐三、米子の筆跡は真筆との結果がでている

●平成7年3月21日号 :続ぞく佐伯祐三、大発見

(「当世美術界事情U」   P205)

安井氏の指摘

私の意見

周蔵の遺言に、@神戸の山本コレクションは米子の手にかかっている A祐三の娘、弥智子は血液型からみて祐三の娘ではない B佐伯父娘の死因には米子の人為的な影がある これらの記述が匠秀夫の巴里日記にないのは不可解。
これは、筆者の匠が従来の佐伯像と大きく異なる部分を削除したためと考えられる。
大阪市蔵(旧山本コレクション)の「ロシアの少女」と「自由と画布」の第3号のカラー表紙はどう見ても同一人物の作品とは思われない。この辻褄をどう合わせようというのだろうか。
山本コレクションには米子の加筆が入っていると考えれば辻褄は会うじゃない。どうして安井さんは、頑なに「米子加筆」説を避けて考えるのか?

●平成7年11月1日号 :晦日に出る月

(「当世美術界事情U」   P231)
長々と佐野乾山事件との比較を行って書いているが、実際に指摘しているのは1点だけ。

安井氏の指摘

私の意見

はじめに疑惑を持たれたのは、熊本の某なる人物(吉薗周蔵氏)はドイツの大学で医学の修得したというその時期は、日本とドイツは第一次世界大戦で敵対関係にあったことだ。留学できよう筈もないし、某に旅券を出した記録は熊本県、外務省でも発見できなかった。そのほころびが広がったわけだ。
このHPを読めば、すべてが分かる(笑)。吉薗周蔵氏は陸軍大臣上原勇作の草として働いた人物。血液型の技術を盗むために本名ではなく久原鉱業の社員の名前を借りて渡航した。ウィ―ンにラント・シュタイナーを訪ねる。ドイツにも行ったが、成果はなかった。

●平成7年11月21日号 :棲み分けて逝く倫明老

(「当世美術界事情U」   P234)

安井氏の指摘

私の意見

病床の倫明老は、ある時期から新発見はニセモノだったと気づいたと伝えられている。が、いまや真相を語ることはできない。
安井さんの18番が出ましたね。情報源を明らかにしないのであれば、どんな事でも書けますよ。誰がそう伝えたのか教えて下さい。

●平成8年3月21日号 :倫明老の置きみやげ

(「当世美術界事情U」   P250)

安井氏の指摘

私の意見

いまさら岩手県遠野、吉薗家所蔵の佐伯祐三作品をホンモノと唱える人はおるまい。
ゴメンナサイ! 私はホンモノと唱えています。(笑)    安井さん、こういう書き方で詳しく知らない人をミスリードするのは良くありませんよ。まず、そんな事を言うのであれば、そう考える根拠を書かなければ。
ことしに入りスポーツ紙各誌が「夫人が代作、告白の手紙見つかる」と、ほぼ1ページを割いて伝えた。どうやら共同通信の配信らしいが「3人の筆跡鑑定家が、まちがいなしと結論付けた」という。信じられない話である。
安井さんは、ここでも細かい技を使っていますね。同記事を報じたのは共同通信に加盟していない4大紙以外の産経、東京を始め各地の地方紙、日刊スポーツ、ジャパン・タイムズなど多数であるにも関わらず、あたかもスポーツ紙しか報じていないように書いています。(信憑性を少しでも下げたいという気持ちが見えますね)   それとも安井さんは、スポーツ紙しか読んでいないのかしら?(笑)   筆跡鑑定に関して、安井さんが信じられないと思うのは結構ですが、そう思うのなら是非御自身で確認して下さい。
しかし、ある時期から、ひそかにニセモノと気がつき、すべての責任を背負いこみ、あの世へ行ったのがホントという説が、かつての老の周辺から流れている。
これは、上に書いた通り。倫明老の周辺って誰ですか?
「河北鑑定書き」なる青木繁の作品カラー写真と倫明記の署名、印鑑つきコピーが美術業界に出回り関係者を困惑させている。まさか・・・である。老がそんなことを書く筈がないというのが周辺の見方。
河北氏が逝去してから出回ったわけじゃないだろうに...。何故、本人に確認しなかったんだろうか?

●平成8年7月11日号 :オ前ニ 草ヲ 頼ミタカ

(「当世美術界事情U」   P263)

安井氏の指摘

私の意見

福井県武生市は6月末、佐伯祐三の真贋をめぐる最終報告を一般公開した。毎日新聞によれば「寄贈者が真作の証拠とした関連資料に疑惑や矛盾があり、真作ではない」との判断を示したという。
「小林報告書」の内容に関しては、落合氏のHPで詳細に反論しており信頼性が低い。加えて、たとえ関連資料が贋作であったとしても絵画の真贋はまた別の話のはず。
佐伯のパトロンだった周蔵は陸軍の特務、つまり、軍事、国事探偵であったというのである。まさか! である。
安井さんは、「まさか!」が好きなのですね。(笑)   落合氏の詳細な検証に対して、反論があるのであれば是非論争して欲しい
昭和30年代、千葉の周蔵宅に辻某なる男が顔を見せたという。その男こそ、東南アジアに出かけたまま消えた旧大本営参謀であった辻政信であった。奇想天外なこともあるものだ。まさか!である。
まさか! と言われても困る。(笑)   奇想天外かどうかは、落合氏の著書を読めば明白であろう。
「佐伯祐三の巴里日記」にあるパリのホテル・リッツに滞在中の周蔵に佐伯が出したというハガキ写真だが、関係者のひとりが同ホテルに問い合わせたところ、その時期、そのような日本人は宿帳に記載されていないという返事を得た。
周蔵氏は、国事探偵の立場上他人名義で渡航しており、ホテル・リッツにも本人名義では宿泊していなかった可能性が大。ハガキはホテル内周蔵宛で届いている。
なりによりも不可解なのは息女なる人物が公開の場に顔を見せないことだ。疑惑や矛盾があるという日記、手紙の実物も、ごく限られた人々が見ているだけだ。
なぜ公開の場に顔を見せる必要があるのか? 日記、手紙の実物は贋作派が見ようと思えば比較的簡単に見られたはず。見ようとしなかったのではないか

●平成9年7月1日号 :武生ルネッサンス

(「当世美術界事情U」   P306)

安井氏の指摘

私の意見

遠野市に住み、むかし、佐伯祐三のパトロンだったという精神科医、吉薗周蔵の息女から38点の佐伯寄贈を受けて焼く3年、さまざまないきさつのあと、調査委員会がつくられ95年秋、「資料(日記、作品など)の信憑性に疑わしきものあり」と小林頼子レポートが出て寄贈返却となった武生市。
上にも書いたが、「小林報告書」の内容に関しては、落合氏のHPで詳細に反論しており信頼性が低い。加えて、たとえ関連資料が贋作であったとしても絵画の真贋はまた別の話のはず。
新発見の佐伯、はじめは遠野市へ、つづいて都城市へ、あげくは武生市へと2転、3転する寄贈話。その中で大きな役割を果たした、ともに故人だが河北倫明、匠秀夫らが、どのようにかかわりあったのか、さらには小林レポートお詳細、情報公開をきちんとしてもらいたいものだ。
故人となった人達の真贋事件への関わりを追求するのであれば、まず安井さんが倫明氏周辺の人々とどのように関わりあったのかを述べるのが先ではないのか?   安井さんが吉薗関連の資料を見せてもらったのは疑惑のように富山氏なのかどうかはっきりさせて欲しい。
かかる大人物が大正、昭和という時代「・・・世情探索のため市電運転手や洋傘の修理、さらに天麩羅屋をしたこともある。戦後は千葉に隠棲。昭和29年までケシ栽培をしていた。食品屋は一種の仮装であった」といわれても「にわかに信じがたい」話である。
すべてのシガラミから自由になって考えて下さい。(笑)   信憑性の高い吉薗資料を詳細に調査すれば自ずと分かるはず。是非、実行して欲しい。


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