●米子書簡2
(旧仮名使い、漢字は適宜修正してあります)


   お二人様、皆様お元気ですか。ずいぶん長い事ごぶ沙汰しておりますがあなたは元気でしょうか。
あなたの事は誰からも伺えないのでわかりませんけれどまだまだお元気でしょう...。七十一、二になられたでしょうか。佐伯より四歳上でございましたでしょう。まだまだお元気と思ってお便り書きましたのよ。戦時中、戦後といろいろありがたく思っております。ずいぶん忘れられず思っております。
おかげ様で土地も私のものとなり気がかりもへって安心しております。
   先日、下町でサツマさんを見かけましたわ。あの方も変わりましたはねえ。ずいぶんみじめに思いましたもの。相変わらず見栄が目立ってもう身についてませんものねえ。パリの男達の玩具の様な奥様は早くに日本へ帰っていらしてあなたが長野のサナトリウムに入れられた事は聞きました。
もう亡くなられたそうですわね。当時は、佐伯を中に私も心を鬼の様だった事もございましたが、今では懐かしく考えます。奥様の家柄が●あその様でしたものねえ。あの方もお気の毒でしたわね。
   実は、今日お手紙したのは残っている絵をいただきたいのです。まだたくさんあるでしょう。今なら佐伯の美術館を作れますし、私もまだ手を入れるくらいはできますから間に合います...。それに先日いやな事聞きまして気になってお手紙しました。あなた方が私の描いたの買ってらっしゃると。そして佐伯と違いすぎるとおっしゃってる...。不思議だと思いまして。人形絵とシベリアの汽車の絵の事でしょうけれど。今になってあながた申しませんはねえ。単なるおどかしと思ったのですが。あなた方の事は安心しております。
   ところで、今になって佐伯が有名になって来たご存知でしたか。芸術界が今ごろになって佐伯を語りますのよ。もう話つくされた事にあれこれ言われ佐伯もずいぶん変わりましたわ。絵が売れるには文学的な条件をそなえるのでしょう。今では貧乏を苦ににして死んだとか狂って自殺したとか、外でしか絵を描かないとか、もうどんどん勝手に偶像化して実に滑稽ですのよ...。私はさからいませんの。私の様なもの何申し上げても今では分からない様で。めくらに絵を見せるようなもの。時代がかわりましたのねえ。
佐伯は存外明るい性質で自分勝手なところもあるので何も気にしませんし絵が良いのなら私の手伝いも気にしなくて野放図な人でしたねえ。次から次へと何とかしましたですものねえ。それで困ればあなたに電報を打ったり家にもお手紙書いたり、あなたも苦労なされたでしょう。佐伯はあれでなかなか図太さもございましたものねえ。今では聖人の様に思われていますのよ。世の中、本当にこっけいですわ。もっとも芸術界では聖人でないと困るのでしょう。
   ご存知のように、私描いたものもあります...。友達のものもありますし、その他画廊もいろいろ世の中思い通りには行きませんもの...。あなたは佐伯のものまだ百枚からおありでしょう。あんまりせびると佐伯がおこると思って自分で描いておりましたのよ。それが今では気になっております。こうしてお手紙を書いたのは他に誰と考えたら、萩須さんくらいでしょう。何と申しましても私達の事●てですっていますのは、あなた方とあの奥さま、そして萩須さんだけですもの。他の人達は何だかんだ言っても遠くから見ていただけですもの。人の生活なんてよほど関わってみなければ分かりませんねえ。萩須さんだって奥様になにも育まれてない人でしょう。萩須さんひときわお利口ですね〜。今では可愛いお嬢様と若い奥様と三人パリで幸せな毎日をお過ごしでしょう。
   あの頃は皆さん恐ろしいくらい●わけんで言葉に●されませんほどでしたもの。あなたもそうでしたはね。
一時おかみの目からかくれてましたでしょう。パリにいらした時も日本を出るのが一苦労だったと言ってらしたでしょう。佐伯にききましたら、今たから言われますけれど脱獄のてたすけされたらしいとはなしてました。
今思いますにきっと本当の事だと思っております。あなたは、そういう方だから...。
   あの頃は、みんな今とちがっていましたものねえ。今の人達に話せませんもの。それでもこないだもPAXホテルのことひつこくきかれていつも思い出して泣いてしまいます。あの時の事、私は死にたかったのでもあの奥さまを思ってでもないと思いてなとないのです。あの時の佐伯は永く床についていたので友達にめいわくをかけてるとも思いつらくなって、ぬけ出したのだと私は思っておりますの。あの後わけのわからない手紙が何通も出てきて私は死にたいと、ずいぶん思いました。あれ遺言ではなかったと思います。
   今また絵をかくように先方からきつく言われておりますけれど私は、この頃、佐伯の絵を描けなくなりましたのよ
少しでもいただかしてくださいませ。それではもうおわかれします。
体をお大切に        さようなら。              米子


佐伯に戻る (Since 2000/06/03)