経済万華鏡

安西 正鷹

第一話 貯蓄性向の低下現象に見る経済的諸問題

 .貯蓄率と信用創造

貯蓄性向を語るときは通常、貯蓄をしている者の立場から論じられることが多い。それは現金や預金を資産として貯蓄する者の視点である。

現代経済において、人々は自らの労働力を切り売りして生活の糧を得る。人々は働いてモノを生産したり他人に奉仕し、その対価としてお金を受け取る。

また、各種法人(民間企業、公益法人)地方公共団体国家は、こうした個人労働者を雇って収益をあげたり、公共サービスを提供する。その成果は、土地や建物などの固定資産や、有価証券といった金融資産などに結実する。

この他にも多種多様な資産保有形態があるが、そのなかの一つが「預金」である。

資産として預金を持つ者にとっては当然、預金は多ければ多いほうが良い。それだけ経済的な余裕があることの証となるわけだから、預金者はできるだけこの金額を増やそうとする。反対に預金が減って貯蓄率が低下することは好ましくない

預金は銀行に預けたお金であり、それには利率と預け入れた期間に応じて利子が付く。これは預金が選好される大きな理由だ。

お金を資産として保有する方法としては「現金」もあるが、それには利子が付かない。手元に置いたままでは紛失や盗難のリスクがあるで、金庫代わりに銀行に預けて安心感を得たいというのも、預金が選ばれる動機の一つだ。

株式や債券などの有価証券にも配当や利子はあり、値上がりすれば売却益も見込める。しかし、値下がりすれば逆に、元本割れするリスクがある。土地や建物などの不動産にも価格が下落するリスクがあり、時間の経過とともに減価償却で価値が漸減していく。

リスクとリターンはトレードオフ(二律背反)の関係にある。高い収益を獲得するチャンスがある反面、損失を被るリスクがある。将来の生活設計や中長期的な事業計画を盤石なものとするためには、博打的な要素は極力排除しなければならない。

預金は儲けが少なくて面白みはないが、ローリスク・ローリターン型資産として重宝がられるのは、こうした理由によるところが大きい。

さて、今度は逆に、貯蓄される側の立場で見てみよう。つまり、現金や預金を負債として貯蓄を受け入れる者の視点について考えてみる。貯蓄される側にとって、貯蓄率が低下することはどのような意味を持つのだろうか。

日本では現在貯蓄を受け入れる者は、金融当局から生業として営業を許可された銀行と郵便局に限られている。不特定多数の預金者の財産を預かり、約束の期日に利子を付けて決められた金額を確実に返さなければならない。その公共性と信頼性の高さゆえに、誰もが預金業務を営むことができるわけではなく、信頼のおける者、つまり銀行などの金融機関にしか認められないのである。

では貯蓄、分かりやすくいえばお金はどのようにして作られて、増えたり減ったりするのだろうか。

まず、お金のうち現金は、日本銀行がお札を印刷し、政府が硬貨を製造することにより「モノ」として作り出される。

一方、預金は銀行によって「情報」として創り出される。具体的にいえば、日銀と民間銀行が創り出す。このようにして預金を創り出す行為は「信用創造」と呼ばれる。(つづく)