狸仙近現代史  改訂版

第二話 堀川勢力の淵源と根底 

 2 膠着語

人類最古の文明とされるシュメルの遺跡ラガシュがフランス隊により発見されたのは明治10(1877)年のことで、その後大正時代にかけて、英米独の調査団によって発掘が進められました。その詳細は巷間史書に譲ることとして、ここで強調するのは、シュメル語が現世界の優勢言語とは類を異にする膠着語であったことです。

この類に属する言語は、日本語を筆頭に朝鮮語・滿洲語・ウイグル語・トルコ語などアルタイ語族と、民族的にトルコ族種のハンガリー・フィンランド・エスト二アのウラル語族があります。総じて騎馬民族で、その侵攻被害を忘れられない西洋人は、今でも、粗っぽく謂う場合には民族種に関係なくモンゴリアンと呼びます。

多民族社会では、支配階級の言語が人口の多寡によらず普及するのが普遍的な現象で、近年では、先次大戦後に中国国民党支配となった台湾社会で、土着人の閩南語(福建語)に代わって外来人の北京語が浸透しつつある例があります。今日、膠着語地域の支配者を時系列に沿って遡れば、その発祥がシュメルに辿り着くことは明白であります。とすると、日本列島人が膠着語の日本語を話すのは、シュメル人の末裔が渡来して支配層となった証拠であります。

山地騎馬民及び日本列島民の言語の膠着語がシュメル語に発する原因は2通りに解釈されます。いずれも「シュメル語の淵源は何か」という問題につながります。