常陸国陰陽神社貔貅考     

落合莞爾

 一・黄帝の戦獣貔貅のこと

『大字典』に拠れば「貔(ひ)」は一種の猛獣にして豹の属とも又虎の属ともいふ。故に豸扁とす。貔も虎も猛獣にして転じて武勇の士に喩ふ。杜甫に「軍師擁貔虎」の文例あり。 

貔貅(ひきゅう)も同義にして「貔」は雄を「貅」は雌を指し、『史記』五帝記には「(黄帝)熊羆貔貅貙虎を教へ、以て炎帝と阪泉の野に戦ふ」とあり、黄帝の戦獣六種のうち二を占む。その後、貔貅は邪と呼ばれて三国時代の旌旗に描かれ、故に旌旗をも意味す。『三国志演義』の曹操「十萬貔貅十萬心」は、勇猛の戦士を貔貅に喩えたものである。

 貔貅は陰陽一対の神獣であるから、其の武威を以て城館の守衛とする習ひも不自然でない。貔貅を辟邪と称し宮殿守衛の神獣とするのは古代オリエントのライオン・ガーディアン(守衛獅子)を貔貅に置き換えたものと観て良い。乃ち古代オリエント文明の波紋が漢土に達したもので、本朝の狛犬も其の線上にある。

二・神社門前の狛犬

本朝の神社門前に必ず座す一対の狛犬の起源を語る際、「辟邪」と「天禄」に言及するのが通例であるが、これは辟邪(貔貅)と天禄(天鹿)が類を異にしながら一対をなし、角の本数を相違点とするところが、本朝における「獅子」と「狛犬」の関係と類似しているからであろう。

辟邪は本来、その字のごとく、「その存在により邪悪を避ける想像上の神獣」、すなわち本朝のいわゆる「魔除け」の総称であったが、漢土では何時の頃からか総称ではなく、麒麟のようで獅子にも見える特定の神獣を指して謂うようになった。

世上宮殿、寺観ないし民屋を問わず辟邪を以て門衛とするもの多く、また香炉水注など文房の小品にも辟邪を象った小品は多い。前者の風習が本朝に伝わり、神社門前のいわゆる「狛犬」になったものと観て善い。

三・貔貅の淵源

さて、禹域で辟邪と呼ぶ神獣の淵源は何たるか。

インターネットを検索すると、「漢書・西域伝」の孟康注に「桃抜一名符抜。似鹿、長尾。一角者或為天鹿、両角者或為辟邪」とあるそうで、「桃抜」一名「符抜」と呼ぶ鹿に似て長い尾の獣のうち、一角獣は「天鹿」、二角獣を「辟邪」と呼ぶらしい。

しかしながら、「後漢書・班超伝」の注には「符抜形似麟而無角」とあり、符抜は麒麟に似て角が無いという。とすると符抜の類に属する天鹿も辟邪もすべて角無しとなり、孟康の定義と矛盾する。

複雑化を喜ぶ漢土の通例で、次々に創出せる多種の「辟邪神獣」が互いに犬牙錯綜して本末相知れず、理解のために之を整理分類せんとすれば、その余りの複雑怪奇に却って頓挫するだけである。古書を繙いても右のごとく、古人の言は多岐に分かれ、一々まともに受けていては得るところ極めて少ないから、なるたけ簡単に要領を掴んで善しとすべきであろう。

ともかく、鹿に似て尾がふさふさした二角獣は、同じく一角の「天鹿」と共に、三国時代に盛んに旌旗に描かれたことから、邪悪を避ける縁起物の代表と目され「辟邪」と称されるようになった、と一応観て置く。

四・南京市の再刻貔貅

しかしながら、世上の辟邪(貔貅)を個別具体的に診ると、ことはそう簡単ではない。

中華人民共和国江蘇省南京市の市章は貔貅で、同市に建つ再刻の貔貅像のインターネット解説には「南京貔貅辟邪遙望分隔於丹陽市的天祿」とある。丹陽市は南京市から kmほど離れた隣接市で、その水経山村に五世紀の南斉時代に作られた天禄の石像がある(下図左)。

左石獣とあるから一対の片方で、もう片方は存在の有無さえ未詳だが、ともかくこれは開口の阿形である。インターネットの解説は貔貅辟邪≠天祿 の意味で、南京市が貔貅辟邪(下図右)を再刻したのは、この丹陽天祿を意識したものと見える。南京市章には一頭しか描いていないが、再刻に当って左右一対を作ったのか、これ一体だけなのか、まだ調べていない。

説明: 説明: C:\Users\ochiai\AppData\Local\Microsoft\Windows\Temporary Internet Files\Content.Outlook\HEDTEHHA\●左石獣 石造(高151cm 長200cm)南斉、建武元年(494)  江蘇省丹陽市水経山村 o9-61 (3).jpg

江蘇省丹陽市 南斉建武元年(AD494)

説明: 説明: C:\Users\ochiai\AppData\Local\Microsoft\Windows\Temporary Internet Files\Content.Outlook\HEDTEHHA\●南京貔貅辟邪遙望分隔於丹陽市的天祿A 61934164 (3).jpg

江蘇省南京市 再刻

五・貔貅型と麒麟型

辟邪には大別して貔貅型と麒麟型がある。四霊の一で聖徳を備えた帝王の世に出現する麒麟は鹿に似ているところから天禄(天鹿)が発展したもので脚には当然蹄がある。ところが、南京周辺には天禄あるいは貔貅と酷似した神獣の像が往古より存在して、「麒麟」と呼ばれてきた。南京の麒麟はビールのラベルとはかなり印象が異なり、爪先は猫脚でネコ科を思わせるから、天禄より貔貅の要素が濃いものである。

ともかく麒麟には角があり帝王陵の鎮墓獣として用いられたが、諸王以下の墓は麒麟を用いることを許されず、麒麟に代るべく角を除いたもの(符抜)が作られたのではないかと思う。

つまり符抜は麒麟の紛い物でなく麒麟に先行した神獣で、前漢当時には一角(天禄)と二角(辟邪)があったが、後代帝王用に麒麟を創作した際、有角を麒麟に限ることとし、符抜の角を除いたのではないか。そのようにみれば、前述の「漢書」「後漢書・班超伝」の意味がよく理解できる。

説明: 説明: http://img1.douban.com/view/photo/photo/public/p1426363680.jpg

北京首都博物館の貔貅型辟邪

説明: 説明: 2008秋、中国旅行記14(28):11月18日(6):頤和園・仁壽殿、麒麟像、奇石群

頤和園の麒麟型辟邪

 六・貔貅の雌雄と陰陽原理

 貔と貅は本来神獣の雄と雌を別々に指した語だが、南京市の辟邪の解説を見るまでもなく、今日では「貔貅」は一語として神獣の一種を意味する。これはおそらく、貔貅と天禄を左右一対にした時代があり、片方を貔貅と呼んだからであろう。後に貔貅二頭を左右に並べるようになり、左右とも同形で開口の阿形となった。左右の貔貅は首の向きが対照的なだけである。

これでは陰陽一対でなく陽と陽の並列になるが、漢土における一対観念は時代によって異なるらしい。つまり、同大同形同文様の二個を一対とする偶数原理に立つ場合と、大小ないし黒白濃淡を反転した文様など対照的性格のものを一対とする陰陽原理に立つ場合がある。

 陰陽神社の貔貅像は阿形の雄獣(貔)は牙が上下にあり、首と尾の体毛が縮毛である。これに対し吽形の雌獣(貅)の牙は上顎にしかなく、体毛は直毛である。このように対照的性格の陰陽(雌雄)一対を並列するのが陰陽原理で、之に則った陰陽神社の貔貅一対は真に社名にふさわしい。

陰陽神社の貔貅像は、体躯が本邦の鼬に似て著しく細長い異形のために古来ファンが多く、「ウナギ狛犬」の愛称を奉られてきたが、近年は誰も其の御正体を知らなかった。

近来漸く貔貅と判明したが、よく見ると漢土の貔貅型辟邪ともかなり体型が異なる。豹の属とも虎の属とも謂われる貔貅は、確かにネコ科の捕食動物であるが、体型から見て虎よりはむしろ豹で、本来高山に棲む霊獣ユキヒョウ(雪豹)から発想したものであろう。

陰陽神社に献納した水戸学有志は、貔貅の淵源と陰陽原理を知悉していたからこそ、漢土にもまず目にしない雪豹型の貔貅をデザインしたのである。

ユキヒョウ(左右とも)

春秋時代の銅器   豹型貔貅辟邪

 

2012年5月11日

紀州文化振興会にて

    落合莞爾