「Bien」の真贋最前線特集の吉薗佐伯


*美術誌の「Bien Vol.24」で真贋最前線という特集があり、吉薗佐伯に関して書かれています。
   これまでの美術誌の扱いとは異なり、真作よりの内容でした。
*また、美術誌では始めて2点の本画が掲載されました。(下記) これまでの公開品との違いを見て下さい。(クリックすると大きな画像となります)


「チンザノの広告のある街角」                 「クーポールの見える街」

1.日本美術におけるお騒がせ贋作事件簿大宮知信(フリーランスジャーナリスト)

大宮氏は客観的に真贋事件に関して述べていますが、深く突っ込んでおらず表面的な記述に留まっています。

(関連部分抜粋:P15)

   佐伯祐三の作品はいまなお多くの美術愛好家を魅了する。独特の哀愁と詩情をたたえた画風と、若くして異境の地で病死した悲劇的な生涯が人々の心を捉えるのだろうか。佐伯作品の真贋騒動は94年1月、岩手県遠野市に住む主婦吉薗明子氏が福井県武生市に38点の佐伯作品を寄贈することになったことから始まった。市場に出れば数億円の値がつく天才画家の作品が大量に出現し、しかもそれを惜しげもなく寄贈すると言い出したものだから、世間は仰天した。寄贈のものとは別に11点の佐伯作品を5億円で市に売却する話も進められた。
   作品は吉薗氏の父・周蔵氏の遺品だった。周蔵氏は精神科医で佐伯のパトロンであり、絵は佐伯に託されたものだという。美術評論家の河北倫明氏や匠秀夫氏(いずれも故人)は「粗削りだが、佐伯の作品に間違いない」と吉薗コレクションに本物のお墨付きを与えた。
   河北氏は美術評論家連盟会長を務め91年には文化功労者に選ばれた美術界の大御所である。ところが、その実力者に対し大手の画商たちはこぞって「贋作の疑いがある」とイチャモンをつけたのだ。佐伯研究の専門家も「こんな佐伯があるものか」と吉薗コレクションを一刀両断のもとに切り捨てた。武生市は旧公会堂を改修して佐伯祐三美術館を建てることを計画していたが、贋作疑惑が持ち上がったために結局、この話はお流れになった。
   <吉薗佐伯>は稚拙な印象を受ける。だが下手だからといって偽物と断定することはできない。習作ということも考えられるからだ。画商たちは吉薗コレクションを疑わしいものであると結論づけたものの、偽物である根拠は明らかにしていない。一方、真作派は「贋作説を唱えるのは大量の未公開作が現れると佐伯作品の値が下がる恐れがあるからだ」と画商達を批判している。


2.美術品は見るだけでなく、読み込むもの瀬木慎一(美術評論家)

TVの「なんでも鑑定団」でもおなじみの辛口評論家の瀬木氏ですが、驚いた事に吉薗佐伯に関してはかなり好意的な発言をしています。
きちんと関連資料を調べているようで、さすがに調べもしないで贋作と決め付ける評論家達とは違うなと関心しました。

(関連部分抜粋:P18)

― 佐伯祐三のものとされる絵が大量に発見された、〈吉薗佐伯〉についてはどうでしょうか?
あれは私は実物を見ていないので今まであまり発言していませんが、状況はわかります。これに関しては、佐伯祐三にまつわるたくさんの文献資料、手紙の類やメモがそれこそ数百出ています。あの資料は人が言うほどいいかげんなものではありません。だいたい外国の古い郵便スタンプまで偽造する人もいないし、できるわけがありません。それに彼と関係のあった吉薗周蔵という人物も確かにいたと思います。これは普通の人間ではない、非常に奇怪な人物ですね。ああいうのは、昭和の軍国主義時代の社会が生んだ非常に特殊なアンダーグラウンドな人物ですよ。
問題はあの絵です。本物の絵を見ないと本当は何とも言えないんですが、これまで発表されたものを出版物で見て言えることは、描き方が薄いことです。下地が埋まっていないような感じです。ふつうの画家ならこれは仕上げられた絵ではなく、初期の段階あるいは未完成の絵というべきでしょうか。でも佐伯がこんな絵を描いたわけがないという人は非常に早計だと思います。どんな画家にもこういう段階の絵があるし、彼の場合はあまりいい状況で死んだわけではないので、たくさんの絵を丹念にフィニッシュできたわけではなかったろうし、そのまま絵が放置されてもおかしくないでしょう。
佐伯の現存作品はだいたい500点ぐらいだと思いますが、30歳という短い生涯でもそれだけの作品があるわけですから、未完成作が50や100、あるいは200や300あっても私は変だとは決して思いません。この人は元来速筆の人ですから、本当はこれ以前のいわゆる素描やデッサン、下絵といったものがもっとあってもおかしくないんです。
パリや日本で佐伯と密接につきあった人々の思い出については、1937年に出版された『佐伯祐三遺作展覧会目録』のなかに様々な人が文を寄せています。そのなかに親友の中山巍の手による《佐伯君とその作品》と題した文章があります。これがまさに重大な証言で、どういう訳か、みんなこれにふれていないんです。そのなかで中山さんは「佐伯は所謂腕のたつ画家だった。筆を握れば縦横無尽に描きまくることが出来る男だった。・・・一日に三四枚も描くことがあった。作画は早かった」と書いています。我々がこれまで見てきた佐伯には、そういう絵がないじゃないですか。むしろこの機会に佐伯の未完成のもの、下絵的なものがないことの不自然さを研究家たちは説明しなければならない。死んだ後に妻であった佐伯米子さんが破棄したのか。しかしそんな記録は全然ないし、そんなことは誰も言っていないわけです。そうすると残っていなければいけないんですよ。
それと報道の問題もあると思います。たとえば『芸術新潮』が撮影して掲載した作品の見栄えはいいと思いますが、
『AERA』が掲載したものは報道週間誌の写真のせいかちっともいい撮影とは思えない。『AERA』に載っているものを見た限りでは人は偽物だと思いますよ。そういう写真の影響も大きいでしょうか。

*瀬木氏は掲載された本画を見てどう感じたのでしょうか? 興味のある所です。


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