●芸術新潮 1996年 4月号

<芸術新潮 1996年4月号 P70>

特集    佐伯祐三の真実

      うらぶれたパリの街角を描き続けたこの画家の、どこが私たちを惹きつけるのか?
      わずか30歳で逝った天性の画家の人生と画業の真実を徹底究明する!


佐伯祐三の特集の中で64ページから『佐伯祐三 新発見の明暗』として”こんな佐伯があったのか”として伯父の家にあった 若描きの作品と紹介し、”こんな佐伯があるものか”として吉薗佐伯を紹介しています。
内容は、題名からわかるように全くの贋作として書いています。体裁としては真作、贋作の両方の言い分を紹介していますが、 内容としては贋作と断定して書いています。最後の方で筆者の感情を露骨に表現し、最終的に読み終えた後、贋作と印象付け るような巧みな書き方をしています。私は、芸術新潮がここまで感情的に書いていることに違和感を感じました。 皆さんも是非、原文を読んでみて下さい。

内容を簡単にまとめると以下のようになります。青字が客観的な意見赤字が感情的(主観的)な意見です。最初はなるほどと思わせておいて最後には筆者(高山れおな氏?)の感情が頭に残るような構成となっています。 筆者の論点と私の見解を並べて書いて見ます。

芸術新潮の指摘

私の意見

吉薗コレクションの一連の真贋報道は、資料中心であり肝心の『吉薗油彩』に関しての議論がなされていない
→ 資料研究も重要であるが、絵について調査し真贋を論じることが美術研究の第一義
まったくその通り。
吉薗明子氏所蔵の油彩16点は、東京美術倶楽部の鑑定委員会は全員一致で贋作と判定された。
→ 吉薗油彩の16点は、東京美術倶楽部の台帳に記載され、これらは将来に渡り市場で真作と扱われることはない。
画商の阿王桂が鑑定料を1枚につき5万円支払って平成5年2月に東京美術倶楽部に依頼したが、3日後に『鑑定の一致をみなかった』との返事があり、2ヶ月後、『鑑定シールは出せない。結果もいえない』と言われたはず。鑑定の一致を見なかったはずなのに全員一致で贋作と判定したというのは不可解。鑑定料80万円も払っていながら、結果は言えないと言われていたのに突然贋作というのはおかしい。
ある鑑定委員いわく、科学的鑑定で出てきたデータそのものが、これらの油彩が佐伯の生きた時代に描かれたものではないことを、明白に示していた、との事。 そんなデータがあるのなら、公表すべきである。なぜ、筆者はそれを追求しないのか
武生市がまずやるべきことは、第3者機関による”追試”を行い白黒決着をつけるべきだった。 まったくその通り。
武生市がカンヴァスにテトロンが含まれているとのガセネタに対して繊維の試験を行い、検出されなかったから真作の可能性が高まったというのではあまりにもお粗末。 カンヴァスにテトロンが含まれていた、というのは東美が言い出したほとんど唯一の贋作の証拠である。だから、武生市はその解明に力を入れたのである。それをお粗末と言うのなら、東美の贋作の根拠をお粗末と言わないのは何故か
カンヴァスの地塗の分析結果はどうなのか興味がある。 カンヴァスの地塗りに関しては、落合氏のHPに詳しく書かれている。また、このHPの「佐伯の現場制作説と画布に関して」にまとめてある。
吉薗資料には従来の「佐伯祐三作」の油彩は米子夫人が加筆して仕上げたものという証言も含まれているが、修復研究所の報告と合致しない。 従来佐伯作品と言われているものには、@佐伯筆 A佐伯筆+米子加筆 B友人筆+米子加筆 C米子筆の4種類がある。(他人の贋作はここでは考えない)たとえ加筆が無かったとしてもAとBが否定されただけの話。
修復研究所の判定を尊重すべきだろう。 その通りだが、実際に「吉薗佐伯」を修復した杉浦氏、黒江氏の意見も同様に重視すべき。できれば討論して欲しい。
東京美術倶楽部の鑑定結果を覆せるとすれば同じ16点の吉薗油彩についての追試で得られたデータのみ。追試がなされなければ真作説は一歩も前に進めない。 その通り。東美はデータの公開をすべき。なぜ芸術新潮は東美を追求しないのか
10吉薗コレクションの佐伯作品は、写真で見る限りちっとも良いとは思えないさすがに佐伯!という驚きや共鳴をまったく感じさせない そう思うのは勝手だが、作品の真贋にはまったく関係ない。ちなみに私は、16点を見て佐伯らしさは充分にあると思っている。しかし、これも真贋にはまったく関係ない。
それよりも美術雑誌でありながら、修復もせず枠にも固定していない絵画の写真を見てその作品の質を議論しようという姿勢自体がおかしいのではないか。
11こんな佐伯があってたまるものかと心底そう思う。まず贋作に間違いないだろう そう思うのは勝手だが、その根拠は
12佐伯祐三その人があの「佐伯油彩」を描いたという可能性が、たとえほんのわずかでも残っているなんて、とても耐えられない くどいが(笑)、そう思うのは勝手だが、真贋には全然関係ない
どうしてここまで感情的になれるのだろう?

以上ですが、どう思われましたか?
前半の方で、くどいほど科学的な鑑定が必要と述べておきながら、最後は「こんな佐伯があってたまるか」に代表される
筆者の主観の押し付けで終わっています。これを書いた目的もこれで分かるというものです。芸術新潮は、武生市には
厳しいのに東美には甘いのは何故なのでしょうか?
これが、業界雑誌と言うものなのでしょうか?
          


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