選定委員会の変遷


選定委員の発言内容の(真作→贋作)の変化が分かります。
第二回以降の河北座長の病欠がキーポイントでしょう。

第一回:平成6年12月18日
   寄贈作品についてさまざまな角度から検討を加え、意見を交わした。
●河北座長
   一目見て佐伯祐三の本当の姿が響いてきた。美術的価値はこれまでのものと匹敵し、今までの
ものに見られない荒削りで習作的なおもしろさがある。デッサンや手記に関しては、走り書き
もあり、バラバラにせず総合的に調査したい。山発コレクションと比較すると、山発はいいものを
抜いていったもので、今回の作品は山発コレクションの素材が残ったものといえ、(佐伯作の)背景
や土台を見るには面白い。

●富山秀男
   出所からしても佐伯の作品と思う。これまでの作品との関連性も強く感じる。佐伯に対する既成
概念より幅が広がったと考えている。今までの作品はよそゆきで今回出てきたのはふだん着の作品。
研究し直す必要が出てきた。

●陰里鉄郎
   これまでの佐伯像よりビビッドなものを感じる。

●西川新次
   継続して受け入れのために調査していく。立派なコレクションが待たれる。

第二回:平成7年4月14日
   未額装の33点が修復に値するものかどうか、および『吉薗資料』の取り扱いに関しての判断することが目的
   河北座長は病気で欠席。4委員の他に新たに市の嘱託になった小林頼子特別研究委員と堀江助役が参加
○新たに寄贈の内諾を得た『郵便配達夫』が選定委員に示され、「一級品ないし並品」と判定し、
   「これまでの38点に比べれば良い」と評価。未修復の33点に関しても「調査研究に値する」と判断。

●富山秀男
   絵としては非常に拙く、棄てるようなものだが、こんな変な絵をわざわざ作るとは考えられない。

第三回:平成7年9月2日 調査審議委員会として密に開催
   武生市小泉市長、杉本準備室長、小林頼子特別学芸員、富山秀男、西川新次、三輪英夫、陰里鉄郎
   委員会では、303点の『吉薗資料』、『自由と画布』、匠秀夫の著書「未完 佐伯祐三の『巴里日記』」
などの記載につき、4月以降の追跡調査の結果を小林特別学芸員が報告。
報告内容は、
   1) 周蔵氏の経歴と経済状態について現時点では裏付けがとれない。
   2) 登場する医師については文献による調査、関連機関への問い合わせの結果、該当の事実は不明

●西川新次
   *これ(小林報告)で(答申の根拠の)すべてを尽くしていると思う。作品の受け入れを行ったが作品の質が
低く、資料をどう解釈するかが課題だった。信憑性の可能性を考えて(資料を)調査したが、
佐伯の生活・環境で疑問がある。資料が疑わしいとなれば作品そのものの信憑性も疑わしい。
やり残したことはあるが、現段階での報告をみれば、公共機関は受け入れ、公開することには
なじまない。市民に対して疑問のあるものはふさわしくない。
   *資料が揃っていて、作品の質は低かったが、さらに突き詰めていく余裕がなかったことは申し訳
ない。だが、作品がすでに受け入れられていて、後から選定委員会ができた。あの段階では、やむ
を得なかった。最終まで追い詰めたわけではない。完全に否定するわけにはいかない。

●陰里鉄郎
   昨年の12月にはごく一部の作品を見て、多少肯定的なことは言ったと思うが、資料を徹底的に調べたら
どうか、とも言った。今日がその結果だ。これから後、吉薗コレクションについての調査は考えていない。
100%贋作だとはいいきれないが、それに近い。不明に関しては、ご迷惑をかけ申し訳ない。だだ、資料に
ついては正確に調査する必要がある、と指摘したことは事実だ。

●富山秀男
   *絵画は資料と連動して見るべきである。
   1)9月以前から相当調べて否定材料が多く、当初の所見と逆になると感じていた。いったんは信憑性あり、
      と言ったことは否定しない。当初見た5点はまあまあだった。その後の33点を見て、がっかりした。質の
      低いものだった。
   3)吉薗資料は、内容ではなく裏付けで否定されていった。良く知恵が回ったということだ。
   2)関連して大量の資料が問題。私個人は資料を見て、佐伯の煩悩の物凄さが如実に文字に現れていた。
      そしてこんなに夫婦仲が悪かったのか、と思った。佐伯が現場主義者で、家に帰って一筆も入れない
      というのが定説だった。それが三段階で描き分けていたところは、佐伯研究を180度転換する新事実
      だった。しかし、米子が佐伯作品に加筆しているとの資料は、ありえないと信じた。米子が筆を入れて
      売れる絵にするとの資料で絵画の信憑性に疑いを持った。
   3)吉薗資料は、内容ではなく裏付けで否定されていった。良く知恵が回ったということだ。
   4)佐伯研究には組み入れられないもので、従来の佐伯研究は揺らぐもんではない。われわれは一人の絵画
      様式を見抜くように鍛錬してきているが、今回はその対象ではなく、見抜けなかった。
   5)他人に加筆して、すごくいい絵になるためには、加筆者の技量が上回らなければならないが、米子のその後
      の画業をみていると、米子が佐伯にプラスをもたらしたことは無いと確信する。
   6)周蔵が医師でなかった。資産があったとは思えない。というのが、周蔵の裏付けに関しての9月の疑義であった。
   7)今回の筆跡鑑定は、一文字一文字比較されており、自分は信じる。一つ残念なのはコピーであって直筆で
      なかったこと。
   8)絵についてもまだまだ調べることがあったが、(調査としては)ベストを尽くした。絵画は画布は検査したが、
      残る顔料などは、70年では新種もなく、経年で変化もない。参加顔料分析を行ったとしてもはかばかしく
      ないと判断した。
   9)この結果、出所が同じなら、資料がだめなら絵画もだめだろう。

●三輪英夫
   出所が同じであるから資料同様に疑わしい。
   当初、価値があるとした自分には結果的に甘い所があった。今回の調査のように、濃密で客観的な研究を
する必要性をあらためて感じた。


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