個別品公開

2・青花釉裏紅・魚藻文共蓋酒会壺(奉天品番86)

 

説明: C:\Users\iguchi\Pictures\ControlCenter3\Scan\CCF20100217_00004.jpg 説明: C:\Users\iguchi\Desktop\図譜\E図経・図譜・紀州品30点\86明青花紅彩魚藻圖壺蓋付2尺5寸4分.jpg

品番86 「紀州図鑑」Ⅲ-3     「(写本)周蔵・三井合作図譜」

 

上左図は実物写真、右上図は「図譜写本」である。

落合莞爾著『乾隆帝の秘宝と【奉天古陶磁圖經】の研究』の当該箇所を以下に掲げる。

 

「奉天図経」P90  

品番86  壷 魚の圖のものは多くあるが、これは絶品。

九龍でないことから、おそらく祭事の気樂品なり。

 

「写本・合作図譜」明 青花紅彩魚藻圖壺蓋付 2尺5寸4分

「紀州図鑑」Ⅲ-30図  紀文会所蔵 


 

下は、上記写真の中央下部の拡大である。その下は『奉天圖經』の当該部分であるが、左の魚の部分は、器胎の曲率が大きいから、上の写真とはやや異なって見える。

 

    説明: C:\Users\ochiai\Desktop\魚藻文酒会壺\IMG_0651.JPG

 

 

    

  

本品の一部分で、左は実物の部分写真、右は『奉天圖經』の当該部分である。器胎の曲率の低い箇所であるから、両方の文様はほぼ一致している。

 

 

本会の見解

器形・大きさ・作行からみて、本品が一対のパートナーと考えられる「青花釉裏紅・九龍文共蓋壷」がある(次の条に掲げる)。

九龍は、図の中の正面龍が皇帝自身を指すところから同じ図柄は二つないとされ、誰であっても手軽に扱えるものではなかったが、同じ一対の片割れでも、鯉となるとそれほどの緊張感はない。「奉天図経」に九龍でないことから、おそらく祭事の気樂品なり」と記したのは、その意味である。

皇帝の象徴は龍、皇后は鳳凰であるから、龍鳳を組み合わせた図柄は歴代の厳重な禁令に触れた。鯉は龍に化す処から皇太子を意味する。したがって「九龍壷」と本品が「親子で一対」と考えるわけだが、実は当時、奉天にはもう1個、柄違いの「九龍壷」があり、移動の際に貴志少将が誤って壊したとの記述がある(次条「3・青花釉裏紅九龍壷」で詳述する)。つまり柄違いの「青花釉裏紅・九龍文共蓋壷」が2個あったのだが、どちらの正面龍も皇帝其の人であるから、兄弟品と考えてはいけないのである。

中国の1対観念には2つあって、全く、或いはほとんど同じ物が、2つで1対を成す場合(唐獅子の像など)と、大小や図柄が異なる物が、2つで1対を成す場合(日本でいえば佩刀の大小)がある。だから、龍と鯉が親子で一対と考えられるが、この他に皇后を象徴する鳳凰柄の壷が存在してもおかしくはなく、その場合は夫婦で一対となる。

本品を描いた「周蔵・三井合作図譜」の写本を冒頭に掲げたが、これは吉薗周蔵と画家三井良太郎が現地で作った「合作図譜」の原本ではない。周蔵から原本を預かっていた陶磁学者佐藤雅彦が、古陶磁商Hに唆されて企んだ写本であって、実際の作者は未詳である(詳細は本会発行の落合莞爾著解説本を参照)。

しかしながら、「明 青花紅彩魚藻圖壺蓋付」と命名したのは上記の両人で、その際「青花紅彩」としたのは、実際に実物を見ておらず、原本の配色から「青花紅彩」と見誤ったものである。実物は写真で明らかなように「青花釉裏紅」である。この事例は「合作図譜」の原本に品名記載がなかった証拠になるが、上に見た通り「奉天図経」にも本品の年代を記していないから、年代を「明」としたのもご両人の判断と思われる。

注・「紅彩」とは釉上にベンガラ(酸化鉄)を施す技法。「釉裏

紅」とは釉下に銅を施して、窯内で還元発色させる難しい技法

である。ともに紅発色であるが、明代には技術的な制約から前

者が一般的に用いられた。

佐藤教授と古陶磁商Hの両人は、合作図原本の図柄・器形・文様から明代と見立て、牽いて「青花紅彩」と判断したのである。年代をめぐって論争があった本品は、結局、清初の康熙御器厰の製作と断定されるに至った

 

本会が1991年に「紀州図鑑」を作成した際、本品の時代判定に苦しんだが、有力説は「窯業技法から見て、明代中期の御窯龍缸大窯で製作したもの」と主張したが、佐藤教授及び古陶磁商H氏の両人と同じ判断である。ところが、これに対し「実物の風格からして王朝最盛期の精神の下でしか作れないもので、元・明・清の何れかの王朝の政治的極盛期のもの」との異論が出た。両説が拮抗したが、暫定的結論として本会は後者を採った。

その5年後に「奉天図経」と「合作図譜(写本)」が発現したので、勇んで披いて見ると、後者には「明」とあるが、前者には年代の記載が全くなく。ひたすら首を傾げるばかりだった。今思えば、清の御器厰に関する知識が全く乏しかったからである。

今は康熙御窯以外にないと確信するに至った。その根拠は敢えて挙げるまでもないが、何より決定的な要素は、「大清康熙年製」の款銘を入れていないことである。

以上

2011年9月1日 

 

紀州文化振興会 代表理事 落合莞爾

 

个品公开

 

2 青花釉里红鱼藻文共盖酒会壶(奉天品番86号)

左:品番86 《纪州图鉴》III-3

右:《(抄本)周藏三井合作图谱

 

    左上图为实物相片,右上图为《图谱抄本》。

    本页以下登载的为落合莞尔所著《乾隆皇帝的秘宝与〈奉天古陶瓷图经〉的研究》当中的相关内容。

    《奉天图经》第90

     品番86 鱼图虽然甚多,此为绝品。

                从所绘不是九龙图这点看来,大概是祭祀所用的赏玩品。

 

《抄本合作图谱》明 青花红彩鱼藻图壶附盖 254

《纪州图鉴》III-30 纪文会所藏

 

    以下是如上照片的中部下方的扩大图。其下为《奉天图经》中的相应部分,而左边的鱼的部分,则由于器胎的曲率较高,与上面的照片看起来略有不同。

    上面的照片为本品的局部图。左边是实物的局部照片,右边则是《奉天图经》的相关部分。因为文物这部分的器胎曲率较低,所以实物与图经的纹样基本一致。

 

本会的见解

 

    从器形、大小、作行看来,本品有一件成对的《青花釉里红九龙纹共盖壶》(在下条中说明)。

    九龙图中正面的龙所指的是皇帝自身,因为同样的图案被视为是独一无二的,谁也不能轻率对待。而即使是同一对里的碎片,如果是鲤鱼的话就不会让人产生那样的紧张感。《奉天图经》中记载道,“从所绘不是九龙图这点看来,大概是祭祀所用的赏玩品”,就是这个意思。

    皇帝的象征是龙,皇后则是凤凰,所以组合龙凤两者的图案触犯了历代严格的禁令。鲤鱼化作龙的地方象征着皇太子。从而考虑到《九龙壶》与本品是“父子一对”,而实际上当时,奉天也有一个图案不同的“九龙壶”,有关记述讲道,在物品的移动过程中,贵志少将误将其损坏了(在下条《3青花釉里红九龙壶》中再加详述)。即图案不同的“青花釉里红九龙纹共盖壶”曾有两个,而任哪一个上的正面龙都是皇帝本人,不能认作是兄弟品。

    在中国,有成双成对的观念。这种成对观念中有两种情况,其一是两个完全不同、抑或是基本一样的物品凑为一对(如唐狮子像等);另一种则是大小、图案都不同的两个物品成一对(以日本为例,如佩刀的大小)。所以,可将龙与鲤视为父子一对,此外如果有象征皇后的凤凰图案的壶也不足为奇,这种情况就是夫妻一对。

    开头登载了《周藏三井合作图谱》抄本所载的本品情况,而这并不是吉周藏与画家三井良太郎在现场所制作的《合作图谱》的原本。这个抄本是自周藏处得到原本的陶瓷学者佐藤雅彦在古陶瓷商H的唆使下所谋划的抄本,实际的作者未详(详细情况请参照本会发行的落合莞尔所著解说本)。

    但是,命名《明 青花红彩鱼藻图壶》的是上述两人,那时将其认作“青花红彩”是因为他们实际上并未见到实物,而只是从原本的配色将本品误认作了“青花红彩”。实物正如照片所明示,是“青花釉里红”。在《合作图谱》的原本中没有对品名的记载,这可作为此事例的证据,并且如上所见,《奉天图经》中也没有记载本品的年代,可见将年代定为“明”这点,也是上述两人的判断。

 

“红彩”,即在釉上进行氧化铁反应的技法。

而“釉里红”则指的是在釉下置铜,在窑内让其

还原、发色这一复杂艰难的技法。两种都呈现红色,

但是在明代,由于技术所限,一般采用前者。

佐藤教授与古陶瓷商H两人从合作图原本的图案、器形、纹样将本品认作是明代所产,更是勉强判断为“青花红彩”。围绕本品的还有关于年代的论争,最终,本品被认定为清初的康熙御器厂所制。

 

    本会在1991年制作《纪州图鉴》时曾苦于对本品的时代判定,当时,“从窑业技法来看,为明代中期的御窑龙缸大窑制作”这一说法占上风,与佐藤教授以及古陶瓷商H氏两人的判断一致。但是,与此相对的异议认为,“从实物的风格看来,本品只有在王朝最盛期的精神下方能得以制作,应为元清中某个王朝在政治上的极盛期所制”。两种说法互相抗衡,作为暂定的结论,本会采用了后者。

    五年之后,我发现了《奉天图经》与《合作图谱(抄本)》,鼓起勇气翻看后,发现后者中记载为“明”,而前者中毫无年代的记载。为此我颇费思量。现在想来,是因为当时对清代御器厂的相关知识十分欠缺。

    如今,我确信这必定是康熙御窑之物。关于其中根据,没必要一一列举,但最为决定性的要素在于,本品没有“大清康熙年制”这一款识

    至此。

 

201191

 

纪州文化振兴会 代表理事 落合莞尔