紀州文化振興会

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 1.黒地洋彩共蓋壷
   (中・英文解説
 

2.青花釉裏紅魚藻文共蓋壷
 

3.青花釉裏紅九龍文共蓋壷
 

4.倣鈞海鼠釉尊式瓶
 

5.紅釉大碗
 

6.青花白堆龍文天球瓶
 

7.釉裏紅龍波濤文梅瓶
 

8.緑定瓶
 

9.定州紅玉盤口瓶
     
 
乾隆帝の秘宝

 1.奉天古陶磁図経

 

 

  

「奉天古陶磁」個別品公開

   序
 本欄では、中華陶磁史の最高峰に位置しながら、愛新覚羅家によって厳重に秘匿されていたため、世界の専門家は勿論のこと中国の陶磁学者にも全く知られることのなかった「奉天古陶磁」中のから、天下唯一の絶品をとりあげ、1品ずつ紹介していきます。
その実物写真を掲げ、特徴を解説すると共に、その製作意図と存在意義に関して、本会の見解を述べていきますが、内容は随時更新して充実を図りますので、一度見られた方も、時々覗いてみて戴ければ幸甚に思います。
(上の各図、または左の各項目をクリックして下さい)
なお、「奉天古陶磁」の意義・経緯・現状と、その渡来記録たる『奉天古陶磁圖經』については、このHPの冒頭に紹介した本会発行の落合莞爾著の2書をお読みください。手造りのためやや高価ですので、図書館でのご利用もお考えください。本会は既に各地の図書館から注文を受け、納入を始めていますが、利用者の希望による購入の例が多いようです。図書館によっては予算があるようなので、諸兄側から購入を希望すれば、早速ご利用も可能かと思います。
各論の順序として、清初御器厰の御窯品から始めます。以下の解説にあるように、康熙・雍正・乾隆の清初三代の景徳鎮には御器厰という工房が存在し、皇帝用品だけを製作していました。一般に知られる官窯は、紫禁城内廷(大奥)及び外庁(官署)の需要品を焼いていましたが、御器厰の目的は官窯とは全く異なり、皇帝用の美術品を目的とした芸術的見地の運営がなされて居ました。量産は眼中になく、「奉天古陶磁」の遺品を観察した処では、製作数はむしろ抑制され、原則として「1品種1対」とされていたことが窺われます。つまり、一般には御窯品とも謂われる康熙皇帝還暦記念の「バースデイ・プレート」は勿論のこと、立春観梅の際に寵臣に配られた「梅花氷裂壷」の如きも量産品であって、真の御窯品ではない。
真の御窯品は、その品種が1対もしくは1個でき上がれば、そこで製作は辞められ、仕掛品は破却されて跡を残さず、空想を逞しくすれば出目(余剰生産品)も敢えて粉砕して、以てその種の芸術的価値を高めたものと考えられます。かようなことを従来いかなる陶磁学者も言及しなかったのは、真の御窯品の実物を見たことがなかったからであります。
何故そうなったかと謂えば、製作直後に紫禁城に秘蔵されて世上の眼に触れなかった御窯品を、乾隆帝が御宇の中期に秘かに奉天に移し、その後は存在さえ知られぬものになり、極言すれば、その存在が表向き否定され、幻の「奉天古陶磁」となったからであります。この時の乾隆帝の意図を、上田恭輔は「乾隆帝の意識が漢族化し、面子観念に染まったために隠匿意思が生まれた」と吉薗周蔵に説明していますが、当否は判りません。
ともかく、その存在を公的にも隠されてきた「奉天古陶磁」は、辛亥革命の余波を受けて大正13年(1924)に日本に渡来し、一旦は紀州徳川家の蔵に入りましたが、やがて世界に向かって流出を始めます。その具体像と所蔵者については、本会発行の落合莞爾著『乾隆帝の秘宝と「奉天図経」の研究』に詳述していますから、興味を抱かれる諸兄は、このサイト冒頭のFAXかPCメールでお問い合わせください。
残存する「奉天図経」によって判明しただけでも、唐・宋・元・明など前代のオリジナル遺品が早くから流出し、現在では世界各国の博物館で至宝とされています。日本でも十数点が国宝・重文に指定されていますが、「奉天図経」には行方不明の分がありますから、その中にもまだ幾つか潜在していることでしょう。
そんな中で、流出を免れて最後まで紀州徳川家に残った物の多くが清初御窯品であったことが、「奉天図経」で判ります。これは意図的なものとみられますが、売れ易いオリジナル品から優先的に売り出したと観るのは僻目で、おそらく醇親王が堀川辰吉郎に譲与する際に、清初御窯品の流出を避けるよう懇請したものと推察します。
今や故郷の中国では、乾隆帝の隠匿工作が功を奏し、「奉天古陶磁は噂だけで、本当は存在しない」との定評ができ、紀州家に残された清初御窯品のごときは、その陶磁史上の価値を把握できない諸館の学芸員が、噂だけを頼りに罵詈放言している、見るも浅ましい状況であります。
乾隆帝の深謀に感じ醇親王の御遺志を尊重する本会は、今まで本格的公開を控えてきましたが、人類史上めったにない変革の会紀を迎えた今日、人心の浄化に資する目的で、「奉天古陶磁」の各品を御窯品から順に、このHPにより個別公開していきたいと思います。   
                             以上
平成23年(2011)9月6日改訂
       紀州文化振興会 代表理事 落合莞爾

《奉天古陶瓷》个品公开展示


 在本栏中,我们将甄选出中华陶瓷史上的最高峰、同时也是爱新觉罗家族珍藏的《奉天古陶瓷》中举世无双的珍品一一进行展示和说明。这些藏品不仅是外国的专家,就连中国的陶瓷学者也并不完全了解。
在下面,我们将展示实物的照片,并对于其特征作出解说。对于其制作意图,我们也将讲述本会的看法。因为内容时时都会充实和更新,因此,即便您已经看过本网页,之后如能时常给予关注的话,我们也深感荣幸。
 另外,关于《奉天古陶瓷》的意义、来历、现状,以及传来日本的相关记录请参阅本网首页介绍的由落合莞尔所著、本会发行的两册图书。因为该书完全是手工制作,所以售价较高,因此您也可以考虑通过图书馆来使用它们。事实上我们已经收到各地图书馆的预定,并开始向各图书馆邮寄该图书,据说不少都是应图书馆使用者的要求而预定的。根据各地图书馆的不同,图书馆的购书预算也有差别,因此如果诸兄希望尽快通过图书馆来使用该书的话,我们认为您应当早日向图书馆提出相关的购书要求。
 各论的顺序如下:首先是清初御器厂的御窑品。如同下文解说的那样,康熙、雍正、乾隆这清初三代时,景德镇曾经有一制作所名称御器厂,专门制作皇帝使用的陶瓷器。一般所称的官窑仅仅是烧制的紫禁城内廷(大奥)以及外厅(官署)使用的陶瓷器。而御器厂的目的和官窑完全不同,运营的目的仅仅是专门制作供皇帝使用的有艺术性的美术品。通过研究《奉天古陶瓷》的残存品我们发现,御器厂制作的陶瓷器不仅不需要量产,甚至还要受到制作数量的限制,原则上仅仅是“每一种制作一对”。因此,一般被称为御窑品的类似于康熙皇帝大寿纪念而制作的“Birthday Plate”,以及在立春赏梅时赏赐给宠臣的《梅花冰裂壶》之类的量产品其实都不是真的御窑品。
 真正的御窑品,在该品被完成一对的时候,就会停止生产,未完成品也会被全部销毁、不留痕迹。进一步大胆推测的话,我们甚至可以认为当时极可能是把多余的产成品也全部粉碎,以提高该品本身的艺术价值。但是类似的说法却从未被任何陶瓷学者所提及,原因恐怕是因为他们都没有见过真正的御窑品实物吧。
  要说为何会有如此一说,那是因为在这些陶瓷器被制作出来之后就立刻被秘藏在紫禁城内,完全没有公诸于世。此后在乾隆帝统治时代的中期被秘密转移至奉天,其后其存在甚至都完全变得不为人知。极端的说,在公开场合甚至会否认其存在,于是变成了神秘般存在的“奉天古陶瓷”。这个时期乾隆帝的意图在上田恭辅向吉薗周藏报告时被解说为“乾隆帝的思维模式变得汉族化,非常在乎面子观念,因而萌生了隐匿的意思”。是否属实已无从判断。
 总之,其存在都被官方隐瞒的“奉天古陶瓷”受到辛亥革命的余波,于日本大正十三年(也即1924年)被运往日本,一度被纪州德川家所收藏。最终慢慢的流出德川家,从而为公众所知。关于流出的具体过程和流向在本会发行的落合莞尔所著《乾隆帝的秘宝和〈奉天图经〉的研究》中有详细阐述,如您有兴趣请通过页首的传真或者电子邮件跟我们联系。
 根据残存的《奉天图经》,我们可以判断出唐、宋、元、明等各代的原创作品很早就流出中国,在世界各国被作为至宝收藏。在日本也有十余件被指定为国宝或者重要文化财产,在《奉天图经》中也应该有几件吧。
 尽管如此,根据《奉天图经》可以判明,清初御窑品的大部分并没有流失,而是最后被纪州德川家所藏。这很明显是有意图的一种安排,但是如果只是认为优先卖出的是比较容易脱手的原创作品的话就是一种偏见了。据我们的研究推测,恐怕是醇亲王把这些作品让与辰吉郎的时候已经指定了卖出的顺序,要求尽量避免清初御窑品的流失所致吧。
 如今在这些陶瓷器故乡的中国,乾隆帝的隐匿工作十分奏效,“奉天古陶瓷器只不过是传说,并非是真的存在于这个世上的东西”成为定论。现实中还有肤浅的认识,把纪州家所残存的清初御窑品之类看作是无法把握陶瓷史价值的若干收藏馆的研究员仅凭传闻而轻下断言的不实作品。
 深深体会到乾隆帝的深谋远虑,并想要尊重醇亲王意志的本会,至今都没有真正意义上公开展示这些作品。但是时至今日,在人类史迎来不可多见的变革之际,我们准备将“奉天古陶瓷”中的个品按顺序一一展示在网络上。
                           至此。
平成23年(2011年)9月1日
       纪州文化振兴会 代表理事 落合莞尔